本研究はベトナム国内において、ベトナム戦争の聞き取り調査を行ない、ベトナムの人々が現在、どのような「戦争の記憶」をもっているのかを究明することが目的である。 ベトナムでは「戦争の記憶」がベトナム共産党の政治的正当性の源泉として利用・動員されており、ドイモイ以降、「戦争の記憶」は冷戦型からドイモイ型に調整され、「哀悼の共有」、「戦友意識の鼓舞」、「ローカル・アイデンティティの援用」といった要素が加味され、公式的「戦争の記憶」もヴァナキュラーな「戦争の記憶」を取り込むことが目指されるようになった。ベトナム戦争終結後、80年代まで「英雄宣揚」は低調であったが、90年代半ばになって再活性化した。ベトナムにおける戦争のコメモレーションの中で、国家が行なうものとしては、慰霊の要素は比較的希薄で、顕彰の占める割合が比較的大きくなっている。 南部での聞き取り調査からは、次のような点が明らかになった。メコン・デルタでは解放勢力の中核は南ベトナム民族解放戦線ではなくベトナム南部解放軍であったこと、ヴィンロンやチャーヴィン地方では、1971・1972年に北の正規軍の本格的投入が始まったこと。中部での聞き取りでは、(1)戦争への参加年齢の低年齢化と女性の参加拡大、(2)解放勢力側の人件費・戦費コストの低さ、(3)北緯17度線を越えた活発な人の動きがあったこと、(4)南ベトナム民族解放戦線の機構は存在していたものの、その独自色は希薄で、実態は当地の武装勢力や共産党支部によって兼任され担われていたことである。
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