研究概要 |
前年に引き続き第一次対戦後のニュージーランド統治下の人種政策と人種間関係について,ニュージーランド国立公文書館にて収集した記録やオーストラリア国立図書館にて収集した宣教師の記録などから,再構成した。ネイティヴ(サモア人)は国連との関わりでニュージーランド政府が保護する必要があったが,中国から呼び寄せた年季契約労働者の扱いはかなり差別的だった。サモア人女性との結婚や性交渉は禁じられており,雇用者に依存せざるを得なかった。第二次大戦後に残留していた中国人の多くが帰国するが,一部サモアに残ることを許された人々は,独立後に人権が認められ,西サモアの国籍を取得して市民となった。一方,ネイティヴとヨーロッパ系(ほとんどはサモア人との混血)との峻別は,事実上双方が手を結んでニュージーランド植民地政府に相対することが難しいという効果をもっていた。植民地統治下ではこのように,人種を分断して,それぞれに異なる権利を与えカテゴリー化することで,秩序を守るということが行われていたし,そうした秩序は施政者側からは必要なことであった。しかし,独立して国民国家となるときに,そのような人種の峻別は,国内の統合を阻止する大きな要因となる。西サモアでは此較的うまく,人種の峻別を消してサモア国民を生成することに成功したが,これは,現在でも人種問題1を抱えて不安定な制度を抱え込んでいる隣国フィジーと好対照であるといえよう。 6月の日本文化人類学会の研究大会では,19世紀のサモアの人種間関係を論じる発表を行った。2008年度の同研究大会で20世紀の人種間関係を論じる予定である。また,2008年2月に,キャンベラで行われたオセアニア社会人類学会の研究大会で,「ニュージーランド植民地統治下の人種カテゴリー」と題する発表を行った。
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