研究概要 |
本研究の目的は,前5世紀ギリシアの医学思想における人間理解の特質を,同時代の哲学的人間観との比較研究をとおして明らかにすることにあった.本研究では『ヒポクラテス医学文書』におさめられた代表的な医学書の議論内容の分析をとおして,ヒポクラテスに代表される前5世紀ギリシアの医学者たちの人間理解の方式と同時代の哲学的人間観との間の相違を明確にするとともに,医学者たちがどのような理論的な要請のもとに,独自の人間観を構想・展開するにいたったのかという点に重点をおきつつ,哲学と医学とのつながりという本質的な問題に対して,人間学的な観点から一つの回答を提示することに主眼をおいた. 以上の研究の結果として明らかになったのは,以下の諸点である. 1.医学者たちの人間理解の方式と同時代の哲学者たちの人間探究の根本的な相違は,両者の「自然」(フュシス)概念にもっとも明確に示されている. 2.医学的な理解に立った「自然」とは,人間の身体のあり方と働きを身体の原理的構成要素にあたるとされる「体液」の作用力(デュナミス)と関連づけて説明するための概念であり,同時代の自然哲学において顕著な創出的(emergent)「自然」と,その基本的な概念構造において区別される. 3.以上の「自然」概念の導入は,人間の身体(ソーマ)をその原理的構成要素にあたる「体液」の作用力に基づく,身体内部のいわば物理的な事象が生起する場として領域化するとともに「苦痛」などの心的事象をこれらの身体事象から区別することを要請している.このような区別は,同時代の自然哲学者たちの人間観には存在しない. 以上の結果を3年間にわたる本研究の研究成果として提示した.
|