昨年度は『アリストテレス-何が人間の行為を説明するのか?』(NHK出版)を公刊するために、図らずも、前回・および前々回の科学研究費補助金による研究の再確認の作業をすることとなり、今年度はまず、それをうけて、いわば「落ち穂拾い」として「行為の説明と理解のために、なぜ「意図」が必要なのか?」を公表した。 提出した論点は、第一に、明示的には、一般に動物の行動をも含めた行為の説明と理解については、因果性だけでなく合理性という概念を核としていることは今や常識だが、倫理性が問われる「人間の行為」においては、その都度の行動・行為の「目的-手段」に関わる合理性だけでなく、「目的」そのものの合理性を問うという仕方で、さらに強力な「規範性」概念が不可欠であること、第二に、示唆的に、こうした「規範性」は、存在論的・形而上学的には物理的自然に依存するとしても、極めて緩やかな制約しかうけておらず、たかだか、われわれが理解と説明のための制約として課す「付随性」関係でしかない可能性があること、つまり、ほとんど「独立」していることであった。 そのうえで今年度はまた、この確認の上に、あるいはむしろ、こうしたあり方を支える物理的自然についての形而上学についての予備的考察を、一方では、『ニコマコス倫理学』における「徳」を「性向」というカテゴリーのもとで理解する当枠組みの再検討を通じて、他方では、アリストテレスの認識論に関する主要著作である『分析論後書』のテキスト読解を中心におこなった。来年度の作業を加えつつ、前者については、来年度夏の「ギリシア哲学セミナー」の招待講演で、後者については、成果報告書で論ずる予定である。
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