本研究は、二度にわたる科学研究費補助金に基づく「エネルゲイア」概念の「行為論」「心の哲学」における意義の研究を承けて、宇宙論・目的論的場面でのエネルゲイアの「形而上学」における意義を検討するものとして企図されたが、その前段階としての、「感覚」というエネルゲイアと「思惟」というエネルゲイアの狭間にある広い意味での「表象」、なかでも「感情」、そして行為において「徳性」の問題として語られる「性向」の存在論(形而上学)的意義を検討することになった。 前段階としての「性向」を改めて検討することになった理由は、アリストテレスの「エネルゲイア」概念は、それによって何ごとかを説明するための概念というよりも、説明を「そこで打ち切る」ための概念枠組みといったところがあることにある。言い換えれば、ある意味ではすでに何度か指摘したことだが、それぞれのものがそのエネルゲイアに辿りつくことが「変化」ではなく、当のものの「固有のあり方」のいわば「回復」として構想されているため、「エネルゲイア」についての実質的な議論は「性向」の成立を論ずる中でなされていることである。 今回検討した記憶・感情・中庸としての徳性についてのアリストテレスの議論は、現代的な言い方をすれば、その「自然科学的」基盤について綿密に確認した上で、自然科学的な法則性とは必ずしも相性のよくはない「規範性」について、広い意味での「自然主義的」位置づけを何とか試みようとしているということになる。 今回踏み込まなかった宇宙論・目的論的場面におけるエネルゲイア論は、性向論を前提として、ある意味で、まさに変化のない場面でのエネルゲイアが問題となっている。この領域でのエネルゲイア概念の「形而上学」的な意義の検討については、製成19年度からの「アリストテレスの「エネルゲイア」概念の形而上学における現代的意義の研究II」で行う予定である。
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