当初の計画通り、ヘアーの第一主著である『道徳の言語』及び論文「倫理学」における論述を手がかりとして、前期ヘアーにおける「道徳」概念の検討を行った。その結果、第一主著の段階における考察では、価値語の使用一般に見出される「評価的意味」や「記述的意味」などの特質を解明しようとする傾向が極めて強く、特に道徳的脈絡における価値語の使用においてのみ認められる特質を開示しようとする姿勢は希薄であるばかりか、「道徳」の意味それ自体を主題的に考察するという課題に関わることを、故意に避けているとさえ思われる傾向のあることが改めて確認された。この根本理由は、ヘアーが、徹底した「形式主義」を自己の倫理学における基本理念としていることにあると考えられる。ヘアーは、実質的内容をもった道徳の第一原理を支柱にすえた倫理学の立場を「記述主義」(自然主義と直感主義を含む)と呼び、道徳的実質性の成立根拠を普遍妥当的に証明することはできないという理由からこれを退け、いわゆる「非記述主義」の立場、すなわち形式主義の立場をとる。したがって彼の倫理学体系からは、「道徳」の実質的意味を規定する要素を導出することができない。言い換えるなら彼の倫理学体系においては、道徳的論証の過程に論理的誤謬がない限り、異なった実質的内容をもつ複数の道徳原理が並び立つことが可能であり、これらの原理が相互に矛盾対立する場合にも、それを解決することは原理的に不可能であるという重大な問題がある。ヘアー自身が第一主著の段階で、この点をどれほど明瞭に認識していたかは定かではないが、少なくともこの段階における彼の考察を検討する限り、こうした形式主義の根本問題に入り込むことを意識的に避け、そのことが同時に「道徳」概念の主題的な検討を取り上げないことに繋がっているのではないかという結論に達した。
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