研究課題
本研究は、西洋思想、東洋思想、日本思想、科学史・科学論など、様々な領域の専門家が、学際的、比較思想的な視野に立って、現実的諸存在の「有限性」がいかなる哲学的基礎付けの下に理解されてきたかを明らかにすることを目指すものである。今年度の研究成果として、小川眞里子は、科学史家ロンダ・シービンガーにおいて、科学や科学史はどのような扱いを受けているかを検討した(「ロンダ・シービンガーの科学史・科学政策研究」)。片倉望は、中国古代の道家において「自然」という概念がどのように理解されているかを従来の見解を批判的に検討しながら考察し、道家においてこの語は基本的に「自分自身」「自分一人で」という意味をもつにすぎないことを明らかにした(「道家の「自然」」)。秋元ひろとは、西洋近世哲学、とりわけホッブズにおいて『法の原理』『市民論』の二つの著作と、主著『リヴァイアサン』との間では「自然権」の意味が変化していることを、文献の緻密な読解にもとづきながら、示した(「自然なき自然権」)。今泉智之は、プラトンの著作『テアイテトス』において、「教育」ということが問題にされるときには「人の優れたあり方(アレテー)」が問題とされているということを、文脈を丁寧にたどりながら明らかにした(「『テアイテトス』(186c4)における「教育」の一解釈」)。久間泰賢は、インドの思想家ダーマキルティーにおいて外界の事物の存在がどのように考えられているかを検討した("On Dharmakirti's Proof of the Existence of External Objects")。これらは、各研究者が自らの専門領域において行った個別研究という体裁をとっているが、それぞれ外界の事物や、それに関わる人間の「有限性」ということとどのように関連するのかを常に念頭に置きながら問題を考察している。また片倉と秋元の論文は、草稿を、本研究に関わるすべてのものが参加した三重大学における研究会で検討した結果発表されたものである。
すべて 2005 2004
すべて 雑誌論文 (5件)
人文論叢(三重大学人文学部文化学科) 第22号
ページ: 49-64
Journal of Indian and Buddhist Studies(印度學仏教學研究) 第53巻第2号
ページ: 31-37
F-GENSジャーナル(お茶の水女子大学21世紀COEプログラム) 第1号
ページ: 61-77
中国思想における身体・自然・信仰(東方書店、単行本)
ページ: 133-152
哲学雑誌 第791号
ページ: 111-125