研究目的はニーチェ『ツァラトゥストラ』を「道化師ツァラトゥストラの黙示録」として読み解くことであった。この研究は二つの課題を持っていた。第一の課題は『ツァラトゥストラ』の主人公であるツァラトゥストラを道化師として描くこと、そして道化師ツァラトゥストラが教える永遠回帰の堆界のうちに「すべてのものが舞踏する世界」と「現在としての永遠性」を見出すことである。第二の課題は『ヨハネの黙示録』が『ツァラトゥストラ』の展開を規定していることを証明すること、そしてその視点から三部構成と四部構成という問題を最終的に解決することである。 16年度の課題は『ツァラトゥストラ』を主人公であるツァラトゥストラを道化師として描くこと、そして17年度の課題は永遠回帰を正確に解釈することであった。 18年度は『ツァラトゥストラ』の終りが黙示録によって規定されていることを証明した。それは単なる黙示録的なものといった曖昧なイメージを『ツァラトゥストラ』のうちに見ることでなく、『ヨハネの黙示録』(ルター訳)そのものに定位して読むことであった。つまり『ツァラトゥストラ』と黙示録という二つのテキストの構成、比喩、さらに字句のレベルに至るまで検討し、その驚くほどの一致を示すことを試み、それに成功した。聖書の黙示録が「イエス・キリストの黙示録」(die Offenbarung Jesu Christi)(黙示録1.1)であるのに対し、『ツァラトゥストラ』はアンチクリストとしてのツァラトゥストラの黙示録であることを証明したのである。さらにこの試みは、ニーチェが何故三部で完成したと考え、また四部構成とする可能性をも認めたのか、という基本的な問題に解決を与えた。この二つの可能性は、『ツァラトゥストラ』を黙示録として完成させるというニーチェの基本的な構想から初めて理解できるのである。つまり『ツァラトゥストラ』を三部構成として読む場合、いかなる姿で立ち現れるか、そして四部構成として見れば、『ツァラトゥストラ』がどのような物語であるか、を明らかにした。この二つの読みを通して、『ツァラトゥストラ』が道化師ツァラトゥストラの黙示録であることを証明した。
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