研究目的はニーチェ『ツァラトゥストラ』を「道化師ツァラトゥストラの黙示録」として読み解くことである。 第一に、ツァラトゥストラは、『ツァラトゥストラ」序説に登場する道化師になろうとする。何故なら、綱渡り師を跳び越えた道化師のように、ツァラトゥストラはためらう怠惰な者たちを跳び越えるだろうからである。この解釈によって道化師がツァラトゥストラのなるべき者(超人)であることが示された。この解釈は通説(道化師を超人の敵対者とする)を根本から否定する。そしてこうした通説が由来するナウマン『ツァラトゥストラ・コメンタール』の解釈を批判した。この解釈視点から、「人間とは、動物と超人との間にかけられた一本の綱、深淵にかけられた一本の綱である」というツァラトゥストラの有名な言葉が理解できる。 第二に、ツァラトゥストラは永遠回帰の教師となる。「深淵」という言葉は、永遠回帰の否定性を言い表している。ツァラトゥストラが「変容した者、光に包まれた者」へと変わることによって、この深淵は「光の深淵」へと変容される。光の深淵は、すべてのものが舞踏する肯定的な世界である。 第三に、『ツァラトゥストラ』の終わりは『ヨハネの黙示録』(ルター訳)によって規定されている。聖書の黙示録が「イエス・キリストの黙示録」(die Offenbarung Jesu Christi)(黙示録1.1)であるのに対し、『ツァラトゥストラ」はアンチクリストとしてのツァラトゥストラの黙示録である。以上の考察によって、『ツァラトゥストラ』が道化師ツァラトゥストラの黙示録であることが証明された。
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