ドイツでは、官房学を連想させる「福祉国家」という言葉を避けて、社会問題の解決を優先する国家を「社会国家」と呼ぶが、そのルーツはローレンツ・フォン・シュタインの国家学に求められる。「国家学」という名称から、社会を国家に還元する思想と誤解されがちだが、シュタインの国家学の内実は社会学にほかならない。シュタインの「社会学としての国家学」の基礎にあるのは人格態という概念である。人格態をどう位置づけるかが、統計から人口、財貨生活、経済、行政、教育、あるいはすべての社会問題を解決する要になっている。 1841〜42年のフランス留学中に初めて社会問題とその解決思想を知った法学徒シュタインは、以後、社会に焦点をあてて研究を進めたが、みずからも参加した1848年革命の挫折から、社会は自己解決能力を持たないと考え、社会王政論や憲政国家論を唱えた。しかし、社会問題の解決なしには国家は成り立たないとの信念は変わらず、その後シュタインは一貫して「社会学としての国家学」の構築に専念し、ウィーンを訪問した伊藤博文ほか日本からの留学生にもそれを力説した。 本年度の研究では、社会王政論から「社会学としての国家学」へと転換するシュタインの1852年から56年にかけての思索の跡を、彼のノートや遺稿の解読も含めて、たどった。そのなかで、アダム・スミスの『諸国民の富』に対する評価がキーポイントになることがわかり、シュタインがアダム・スミスをどのように理解したかについてまとめて論文として公刊した。 なお、シュタインのスミス評価においても人格態の位置づけが重要視されていることは言うまでもない。
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