中国六朝時代(5〜6世紀)には、王朝が頻繁に交代する社会不安に満ちた時代状況のなかで、共通する危機感から生まれた儒教の讖緯思想と仏教の劫災思想とが混淆し、これらに影響されつつ道教の終末思想が形成されたと考えられる。本研究は、そのような終末思想を形成するいくつかの要素を比較思想史的に検討し、その形成過程と社会不安の関係を明らかにすることを目的とするものである。 本年度は、昨年度に引き続き、東晋王朝の初期すなわち4世紀はじめまでに成立したと思われる道教経典『女青鬼律』を取りあげた。この経典は劾鬼法すなわち鬼を制圧し駆逐する方策を示したものである。六朝時代の人々の意識のなかでは、疫病や自然災害などの災厄はいずれも鬼がもたらすものと考えられており、社会不安にもとづく終末観がその根底にあるのではないかと予想される。 昨年度までに、この経典を資料として活用するための基礎作業として敦煌写本の翻刻・校訂を行ない、さらに道蔵本『女青鬼律』と対校することにより校訂本文を作成し、現代語訳を試みて問題解明のための基礎資料を作成した。最終年度である本年度は、以上の成果をもとに、劾鬼法による救済思想の成立と展開の過程を明らかにしようと試みた。その結果、六朝時代においては鬼を撃退して現世の災厄を除去するだけでなく、『女青鬼律』そのものを太上老君という神格が勅書として地下にくだし、冥界の鬼を撃退して地下にねむる祖先の霊魂、すなわち死霊を救済する方向へと、経典の機能が拡大していく経過をたどることができた。
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