中国の歴史的な研究には、六祖慧能の弟子である荷沢神会(684-758)は、伝説的な六祖慧能よりも歴史的な実像が確実である点では、はるかに重要であると云えるかも知れない。本研究は、神會の残された語録からその思想を中心に考察して、新たな解釈で禅宗教団という既成の枠組みから解き放ち、禅宗という中国仏教の画期的な転換点における、その思想史上の意味について幾つかの新視点を提案した。 その研究成果を概観すると、一つには敦煌文献を中心とする『神會語録』の注釈的研究であり、二つには本人の五編の論文である。前者は初期禅宗思想の語録を採りあげた具体的な注釈研究であり、別記の研究協力者の参加を得てなったものである。語句の精密な解釈を通して、その他の禅宗文献との思想的な関連を追及した。後者の論文では、中国仏教史の上で、禅宗の登場を中国中世の終焉期と規定し、禅宗は中国中世仏教の積極的な革新、克服運動として理解することで、その後の禅宗の特徴は説明できるという新たな提案を行った。禅宗は初期から一貫してこの性格を懐胎していたと理解できるが、誰よりやはり荷沢神会の運動と思想がその後の禅宗の形成に決定的に重要であったことを分析した。また「神会の菩薩戒思想」という論点で、初期禅宗の成立過程で、六祖慧能の顕彰活動という決定的な役割をはたした荷沢神会が、思想的にも「大乗菩薩戒」を宣揚することで、初期禅宗の仏教運動としての思想的特徴を決定づけたと論じた。つまり大乗菩薩戒こそは、中国仏教に決定的な質的転換をもたらす原理であり、禅宗の運動は結局、この菩薩戒思想を根拠とし宣揚する運動だったのではないか、という仮説を得た。これは次の研究課題となるものである。かくして禅宗と称される新たな仏教運動が中国の仏教思想の上でもつ、独自の思想的な役割の分析ができたと思う。
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