インド哲学・仏教思想においてヨーガ・禅定の修習は重要な修行法であるが、その起源は必ずしも明確になっているとはいえない。本研究では最も成立の古い『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』第1・2章を解読し、その内容が、古ウパニシャッドにおける内観によるアートマンの認識を瞑想の問題として捉え得るものであり、他のウパニシャッドにも影響していることを明らかにし、研究発表を行った。研究分担者・吉水清孝は研究代表者による古ウパニシャッドにおける瞑想について聖典解釈学の立場から、ウパニシャッドの聖句が、どのように解釈されているのかを問題として、聖典解釈の研究によって瞑想の内容・意義の展開を考察した。 仏教において四禅・四無色定と八解脱・八勝処、四念処をはじめとする三十七菩提分法、止観など様々な修行法が知られるが、それらはどのようにして体系化されたのかという問題について、阿含・ニカーヤの中で『雑阿含』「道品」を中心に考察し、三十七菩提分法による修行の体系化とともに、三学(戒・定・慧)の構成は禅定の意義が、修道の要であることを、律蔵文献や仏伝などを広く参照して解明し、研究発表を行った。本研究によって、従来不明であった『雑阿含』の禅定に関する漢訳語彙のサンスクリット原語やチベット訳語の多くが判明し、原始仏教研究の資料論に貢献した。研究分担者・藤井教公は研究代表者による原始仏教における禅定について漢訳禅観経典の内容を問題として、漢訳阿含経典の禅定思想の内容を考察した。 以上、本研究は、古代インドにおける瞑想・禅定の問題点の解明に寄与したが、研究成果報告書として、れまで漢訳のみであった『雑阿含』と『瑜伽論』「摂事分」の対照を、『雑阿含』「道品」について、『瑜伽論』「摂事分」のチベット訳と対照したものを提示し、データベース化した資料として公開する用意をする。
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