2004年台湾で新たにタロコ族が承認された。タロコは従来、タイヤル族に区分されてきたがお互いに聞いてわからないくらい言語が離れているため、タイヤル族から独立したいと思っていた。しかしタロコの言語、セデック語は、タクダヤ、トゥダといわれるグループも話すので、民族名称問題が続いていた。セデック語を母語とする人々は台湾中央山脈の東西に居住し日常的往来が著しく困難である。西側は南投県でセデック3グループの人口は近接しており、セデックという名称を主張している。ところが東側の花蓮県ではタロコが9割以上を占めており、タロコ族という名称を主張し、昨年それが承認された。 2004年の研究では、まずタイヤル・セデック・タロコをめぐる帰属と名称に関する運動の展開に関する調査と考察をおこなった。つまり、台湾南投県のセデックを主張する動向とキリスト教会の動向について考察した。また、タイヤル・セデック・タロコをめぐる分類の変遷を明らかにした。すなわちタイヤル・セデック・タロコの人々がどのように分類されてきたのか、19世紀末から歴史的変遷を明らかにした上で、同一の民族発生神話をもつ彼らがタロコ討伐(タロコ抗日戦役)、霧社事件を経ることで、新たなアイデンティティを形成していることを指摘した。また2004年11月21日-22日、台北の台湾国立台湾師範大学でおこなわれた国際学会で、チカソワン事件によって分散したアミ族チカソワンたちが、民族宗教者を中心にチカソワンとしてのアイデンティティを保持している現状を考察し、発表。それを論文にまとめた。また花蓮市近郊で、市街地化されるアミ集落を取り上げ、アミ以外の人々が新らに居住することで、集落の人口が従来のアミの人口を上回っている状況下、あるいは集落と行政村落の区分が異なる状況下、民族宗教者たちの活動などで、アミアイデンティティが強固に保たれている現状を考察した。
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