研究分担者 |
小川 眞里子 三重大学, 人文学部, 教授 (00185513)
遠山 敦 三重大学, 人文学部, 教授 (70212066)
久間 泰賢 三重大学, 人文学部, 助教授 (60324498)
斉藤 明 東京大学, 大学院人文社会系研究科, 教授 (80170489)
佐々木 能章 東京女子大学, 文理学部, 教授 (00144220)
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研究概要 |
本研究は,社会における名誉と正義の位置づけを指標として,近代と近代以前の社会における価値,また,西洋と東洋における価値について,思想史的な観点から比較研究を行うことを目的とした。正義は,古来,社会の構成に中心的な役割を果たす価値として認められてきた。しかし,力の格差に基づく序列を前提した社会であった近代以前の社会においては,名誉という価値もまた重要な位置を占めていた。それに対して、平等を原則とする近代社会の成立以降は,社会契約論に典型的に見られるように,平等な個人のあいだの契約的な正義が社会的な価値の主役の座を占めるようになったことが明らかにされた。とくに,ホッブズは,名誉の理想を保持しつつも,現実主義的観点から近代的正義論を展開し,そこには,前近代社会から近代社会へと移行しつつあった当時の時代状況が反映されている。 古代中国においては,「人倫」に明らかなる者のみが王者になる資格をもつという思想を孟子が展開していること,また,道家においても,倫理的,道徳的にもっとも優れた人間のみが天下を治めることができると考えられていたことが明らかにされ,社会的身分の上下を前提とした,プラトンの正義論と古代中国政治思想との興味深い平行関係が確認された。 古代インドの仏教思想においては,「法dharma」の概念が,世俗共同体の秩序を守るための規範としての正義の側面をもつことが明らかにされ,「正義justice」という西洋思想の概念が,仏法と世俗共同体の秩序の関係という問題を分析する一つの視座を提供することが確認された。 日本思想については,名誉の問題を,近世における,武士の名の追求と主従関係という観点から分析し,とくに武家思想を代表する『葉隠』においては,一個の武士としての名の追求と,主君への没我的献身という矛盾するかに見える二つの要素が,前者が後者にほとんど包摂されるという仕方で関係付けられていることが明らかにされた。
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