研究課題
基盤研究(C)
本研究では、第1に、日本環境思想史研究の課題として、日本環境思想史の時期区分にもふれながら、(1)日本列島における環境認識-自然観の発生から16世紀に至るその展開、(2)徳川日本における環境思想、(3)明治以降20世紀半ばに至る環境思想、の考察を提起し、(3)では田中正造及び南方熊楠の環境思想が基軸となることを指摘した。第2に、(2)の個別課題である、儒教(朱子学)の影響の下に広く存在する「天地」のあり方を範型として人間を把握しようとする思想傾向(思想的範型としての自然をめぐる問題と言えよう)について、貝原益軒の所説を中心に考察し、以下の点を明らかにした。儒教には、(1)生物の保全の意識が明瞭に存在し、適切な利用による生物資源の持続的確保こそ王道政治の前提とされる。適切な利用は、生物のライフサイクルを踏まえた「時を以てす」である。(2)天地は「万物の父母」とされ、万物の母胎としでの根源性が捉えられている。(3)生物は天地によって育まれた存在であるが、人は他の生物にもまして厚く育まれているが故に「万物の霊」「天地の子」と称される。このような把握は人の尊厳性の自覚と人間的平等の意識をもたらした。(4)生物の棲まうこの世界において、人の責務は、肉親・人・禽獣草木に対する愛の差等性に基づき、「親を親しむ」「民を仁す」「物を愛す」と示されるが、「物を愛す」は生物資源の保全と適切な利用を含意している。そして人の営為は「天地の化育を助ける」こととされ、自然的秩序の内に包摂される。この意味でも自然は人に対して規範的な意味を持っているのである。以上の内容を理論的に構造化して述べたのは徳川日本の朱子学者貝原益軒であり、彼の主張する「天地につかへ奉る道」は、天地の二重の意味における根源性(天地は万物の母胎であるとともに、天地の「物を生ずる心」が人の本性である「仁」である)を踏まえた環境思想として捉えることができる。
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日本思想史学 38号(印刷中)
日本の科学者 6月号
ページ: 46-47
JOURNAL OF JAPANESE INTELLECTUAL HISTORY, NO.38
JOURNAL OF JAPANESE SCIENTISTS VOL.41 NO.6