平成16年度より開始した本研究においては、主として日本の近世期の霊籖の受容に研究の重点を置き、調査研究を遂行してきた。本研究においては、主として寺院に関わる元三大師御籖(観音籔、百籖と称されることもある)として広く知られた仏占を研究の主たる対象としてきた。その際、予想していた以上に多くの寺院関係者および関係資料の所蔵者からの協力を得ることができ、また古書店、骨董店等からも多くの史料を入手することができ、以下に述べることをはじめ、新事実の発見、仮説の確認、新たな仮説の設定をすることができた。 中国から渡来した霊籖は、日本においては近世期に、寺院わけても天台宗の寺院の僧侶を中心とした層に受容され、その後、各宗派にも波及し、やがて神社でも用いられるようになっていった経緯が、本研究を遂行する過程で明らかになり、また、階層あるいは職業、さらには性別による受容層の変容があることも、関係史料から明らかになってきた(初期の受容層は武家および出家であり、後に町人あるいは百姓といった層に受容層が拡大していったものと考えられる)。 ところが、こうした受容の変遷に一大転機が訪れる。明治維新とこれに伴う神仏分離である。これによって、神社において寺院と同様の霊籖(御籖)を用いることが憧られるようになる(そして、これ以降「御籖」を神社においては「神籖」と表記するという傾向が広まったと考えられる)。裏を返せば、それまでの間すなわち近世期にあっては、神社においても寺院と同様の霊籖(御籖)が如何にして広く用いられていたかということでもある。
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