今年度は昨年度収集した資料の総括的分析を行った。ベルリン国立図書館音楽部において収集した、一九世紀ドイツのピアノ雑誌記事およびピアノ教本からは、一九世紀におけるピアノレッスンの諸相を明らかにすることが出来た。またチューリッヒ楽器博物館で収集した、ピアノ演奏のための指トレーニング機器に関する文献からは、テクノロジー的な身体観の萌芽を認めることが出来た。パリ音楽院図書館で収集した十九世紀の音楽院関係の諸資料からは、音楽学校における入試から卒業に至るカリキュラムの詳細を知ることが出来、練習用作品のグレード化ということが音楽院で行われるようになる様子を分析できた。これらの調査を通して判明したのは、十九世紀のとりわけ1850年前後に、ピアノ教育の方法に大きな変化が生じたという事実である。すなわちピアノ教育の中心が、従来のマンツーマンのものから音楽院でのグループレッスンに移行し、それによって授業用の簡便なマニュアル的教本が大量に出版されるようになったのであった。ピアノ教本においても、十九世紀の前半においてはまだ技術的な面への言及は少なく、主として音楽解釈や理論が既述の大半を占めているのに対して、一九世紀も広範になると、練習の仕方や手の構えなどといった技術面への言及が、音楽解釈から切り離されて、大きな割合を占めるようになるのである。さらに演奏技術のトレーニングにおいては、身体の各部位を単独で反復練習によって鍛えさせるメソードがこの頃から成立したようであるが、これは体操や工場における大量生産をモデルにした教授法であると推察される。
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