研究概要 |
芸術世界と現実世界の存在論的関係に光を当て,最終的には,芸術という営みが我々の現実の生にとっていかなる意味をもつかについて,ひとつの理解を得るというもくろみのもとに,アリストテレース『詩学』において提示された「蓋然的ないし必然的な」できごと連鎖の存在論的分際を,『弁論術』における「エンテユーメーマ(蓋然的推論)」の論を参照しつつ解明するのが,本研究の目的であった. 4年間の研究で,悲劇,ひいては芸術が弁論と並行関係にあり,芸術作品が弁論におけるエンテユーメーマの位置にあるものとして,世界を蓋然的に提示するという働きをなすと言えることが,ほぼ明らかになった. 平成19年度の研究では,この問題圏の中で浮かび上がってきた"hybris"の問題に焦点を絞った.すなわち,『弁論術』第2巻第2章に出現するhybrisを,従来の解釈では「侮辱」ないし「暴行」ととらえていたが,この解釈では,この箇所に何度か出現するhybrisの語を文脈に応じて幾通りにも訳し分けないと意味が通らないという難点をもつ.そこで本研究を通じて私が到達した理解は,これを「傲慢」とすることである.この二つの理解の争点は,つまるところhybrisに悪意があるかどうかである.これには,1378b25のautoi/hautoiの読みの問題もかかわる.ここではこれ以上の詳細に立ち入ることを控えるが,これまでの研究で,一本の筋で通せる見通しが立ったので,早急に論文発表する所存である.
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