17世紀末の天皇であった東山天皇の皇后承秋門院の御所を飾っていたと伝えられる実相院の襖絵を当初の姿に復元し、その絵画史的意味を考察することが本研究の目的であった。 まず、現状を実地に調査し、また文献資料によって、それが実際に承秋門院御所を飾っていたものであることを確認した。そうした作業を通じて問題となったことは、現在実相院を飾っている襖絵は一具のものではなく、5つのグループに分類することできるということである。 そこで、一体、どれが承秋門院御所から持ち込まれたものか、それ以外のものはどこから来たものかを検討することから始めなければならなかった。 その結果、狩野永敬が描いた襖絵は、承秋門院の実家である有栖川宮家から移されたものである可能性が明らかになった。それ以外の襖絵は承秋門院御所から移建されものだろうが、当初のものがそのままの状態で各部屋にはめられたとは考えられない配置であった。 そこで、これらの襖絵がいかなる意図に従って選択され、配置されたかを検討した。その結果この客殿には承秋門院と有栖川宮家が深い関係にあることを示すものが選ばれ、承秋門院の女性性を物語るように襖絵は各部屋に配置されていることが明らかになった。 また、実相院には京狩野の画家狩野永敬が描いた作例と江戸狩野の主流である狩野洞春が描いた作例が共存する寺院であり、江戸時代絵画史上重要な遺構であることが確認できた。 しかし、まだ上流階級の女性にとって、絵画とはいかなる機能を果たすものであったかを女院御所を復原して明らかにするまでには至らなかった。今後も研究を続行し明らかにしたい。
|