本研究の第2年度に当たる本年度は、諸所に点在する江戸時代三都法制史料の調査と収集に主力を注いだ。特に、京都府立総合資料館所蔵小久保家文書に含まれる京都町代の記した番日記については、そのほとんど全てを複写収集し、また、第一級の江戸時代大阪法制史料と思われる九州大学文系合同図書室所蔵大阪町奉行所与力文書の一部を、出張調査を介して複写収集した。 本年度に収集したこれらの資料の量は膨大で、その分析作業はいまだ終わらず、いまだ確定的なことは述べられないが、昨年度の実績報告書に記した、従来の江戸時代出版法制認識が持つ問題点に関わる認識を変更する必要は生じていない。 昨年度の実績報告書にも記した認識を念のため再度くりかえせば以下の通りである。 従来の江戸時代出版法制に対する理解は、江戸という都市に固有の町触を、京都・大阪にも共通のものとして、京都・大阪の出版状況-ひいては江戸時代の出版状況を説明しようとして来たために、諸所に大きな誤解を含んでいる。出版に関する町触の発布は、おそらくは、江戸時代前期においては、各町奉行の専管事項であったと思われ、町触は三都で異なっている。そのため、当然、時代の推移と共に出版制度自体も異なりを見せる。出版制度として最も異なっていた例は、京都において出版物の検閲制度が布かれたことである。江戸・大阪においては、享保改革期に、町触によって本屋仲間の組織化が命令されると共に、自主検閲制度が開始されるまで、そのようなことが行われた形跡はない。江戸時代の出版にとって、享保改革期は、初めて三都に共通の制度が布かれた画期的な時代であった。その重要な史的意義も、従来は理解され損なっていたと言わざるを得ない。
|