平歳16年度ではアイヒェンドルフ文学における女性像をドイツロマン派に好まれた鉱山のモチーフに関連させて明らかにした。 「鉱山」のモチーフはドイツロマン派の時代に好まれたものである。ゲーテ、ノヴァーリス、ティーク、ホフマン、アイヒェンドルフ等といった作家にこのモチーフの作品を見いだすことができる。今年度はほぼ同時期に成立したホフマンの「ファールン鉱山」(1818)とアイヒェンドルフの『大理石像』(1817)という短編を比較し、同じく鉱山のモチーフを用いた両作品」の異同を明らかにした。ホフマンの作品はロマン派におけるこのモチーフの作品群の典型ともいえるものである。その特徴は、この作品では「鉱山」を舞台に恐怖と戦慄の美を体現する女性像と「純真」で「天使」にも比せられる女性像の二つが現れ、前者の圧倒的な力が描かれる点にある。前者は19世紀末の「宿命の女」像を先取りしている。アイヒェンドルフの作品においても女性像の描き方は基本的にホフマンのそれと同じである。しかしながら、二人の女性像に対する主人公(男)の扱い方において両者は決定的に違っている.ホフマンにあっては主人公の破滅で作品が終わるに対して、アイヒェンドルフは主人公を助けるために物語の構造を破綻させている。このことはしかしながらロマン派の時代に発見されたこの戦慄の美を体現する女性像の魔力を逆に際だたせることとなっている。さらに、本年の研究では、この二つの女性像が、「鉱山」のモチーフのみならず、「水の精」、エグゾティシズムの女性像にも現れていることを指摘し、この両者が一見対立しているように描かれていようとも、実は、ロマン派の、そして男の無意識に現れた「自然」の投影であったことを論証した。
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