平成17年度ではアイヒェンドルフ文学における女性像の分析をさらに深めた。 平成16年度に研究したアイヒェンドルフ文学における鉱山のモチーフと女性像については、独文学会誌『ドイツ文学』125号、2005年Neue Beitrage zur Germanistik Bd.4/Heft 3、42-55頁に「鉱山のモチーフと戦慄の美学-アイヒェンドルフの自然表象-」と題して寄稿した。また、アイヒェンドルフ文学における「水の精」のモチーフについては、『ロマン主義研究』(お茶の水書房、2006年度刊行予定)に「ドイツロマン派における神話的形象-アイヒェンドルフ文学における女性像-」と題した論文を寄稿した。 後者の論文においては、ロマン派における水の精のモチーフ、とりわけブレンターノによって文学的に形象化されたローレライ像及びフーケーの「ウンディーネ」と、アイヒェンドルフ文学における水の精のモチーフとの関連を明らかにするとともに、アイヒェンドルフ文学における水の精のモチーフの独自性を明らかにした。アイヒェンドルフが水の精を主題とした詩は幾つかあるが、中でも「誘い」Lockung(『詩人とその仲間たち』1834年第9章初出)においてアイヒェンドルフは「水の精」が象徴するもっとも深い層に達している。「水」は、この詩にあっては西欧を近代に至るまで呪縛してきた、アドルノ・ホルクハイマーが言う意味での「啓蒙」から逃れ、すり抜けながら、「ユートピア」を指し示す指標として現れている。この詩においては、「啓蒙された主体」が溶解し、未だ人間が自然と一体であった太古の時代が「水の精」の「不思議な音」とともに一瞬顔を覗かせていることを指摘した。 平成17年度には、さらにアイヒェンドルフの政治思想の再検討に着手した。
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