本研究は、日本におけるブロンテ受容の歴史をたどるものである。ブロンテ姉妹が日本の一般読者にどのように受容されたかを、明治初期の紹介の時代から昭和初期に邦訳が出版されるまでを、文芸雑誌、学術雑誌、新聞その他の一時資料を基に跡づける 研究計画は大きくは3段階に分かれ、第1段階では明治期にブロンテ姉妹がどのように紹介され、どのように受容されたかを検証する。第2段階では大正デモクラシーのなかで、自我に目覚めた日本女性の間で『ジェイン・エア』がいかに読まれたかを調査する。第3段階では『嵐が丘』『ジェイン・エア』の完訳がいかになされたか、また翻訳にいかなる問題があったかを検証する。 初年度に予定していた課題のうち、『女学雑誌』の検証は、科研の採択が10月であったことから雑誌購入が年明けになったため、現在、明治23年および24年の巻を調査中である。『婦人公論』においてはブロンテに関する直接的な言及は見つからず、検索対象を『国民之友』『太陽』に変更することにした。資料として購入した『雑誌『太陽』と国民文化の形成』(鈴木貞美=編)を現在、検証中である。 本年度の成果として具体的な形になったものは2点である。その一つは滋賀英文学会誌第12号に掲載された論文で、『ジェイン・エア』の最初の抄訳である水谷不倒の「理想佳人」の全14章を検証している。もう一つは『英語青年』に掲載された「大正・昭和初期のブロンテ姉妹」で、日本における最初のブロンテ研究書、対訳・注釈の研究を行ったほか、大正時代の文学的潮流をとらえ、昭和初期におけるブロンテ姉妹大流行の下地を解明している。
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