本研究は世紀転換期ドイツにおいてあらわれた言説編成上め変化と近代的な意味での「文化」の領域の確立との関わりを対象とするものである。同時期、近代ヨーロッパの精神文化の理念が根底的にもっていた「知」と科学的合理性に立脚した「学」と具体世界の主体としての「人間Jの統一的連関が崩され、とりわけ19世紀の「実証主義」的方法がこの統一的理念の解体を決定的に告知しようとする趨勢への「危機意識」が生まれた。こうした知への「反省」の大きな流れが、19世紀後半頃から「学」的方法の修正をせまるという状況を生みだした。世紀転換期に「文化」の過熱した状況炉生じたことの背景には、この「知」の構造変化としてあらわれた「学」をめぐるパラダイムの転換がある。以下本研究によって明らかにしたことを上げる。 1)世紀転換期のドイツにおいて学の基本の修正が意図されたとき、「客観性」の側に地滑り的に傾いでいた「知」に本質的な変動が生じ、それが世紀転換期以降に顕在化する「生」という概念を所与のものとして「学」の出発点にすえる「知」の言説どなって表れるという現象が生まれた。 2)反省から生じた「知」の転換は、生の多様性に基づく多彩な知の理論の「学」としての形成を促すことで、逆に知のもつ多様な現象形態、つまり知のパースペクティヴ性とそこから生じる生動性、っまり知の現実構成的作用力を明らかにした。 3)この「生」概念と「文化」の概念が重ね合わされ、「自然への隷属からの解放」「洗縁」「高貴化」どいう「文化」に関する本源的メタファーが、いわば「意識の現象学」ともいうべき方法と「生」への還元という方法によって屈折されると同時に、「文化」の領域が新たに世界の「多義性」を背景とした「価値定立」の戦場とされ、人間と「文化」をめぐる関わりが再定義された。 4)「文化」の概念が特定の身分や階層概念から離れ、普遍的な「生」の概念に重ねられ修正されて近代的に制度化されていくことには、やはり特定のイデオロギー的な世界像や社会的秩序を正当化する審級としての文化の位置があった。この知の構造変化にコノテーションを変えた「市民性」という枠組みがあった。
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