後年、「地中海的な知識人」と称されることになるポール・ヴァレリー(1871-1945)の知的形成期の精神を訪れたと思われる様々な思想を探求し跡づけることが本研究の課題であるが、以下のことが判明してきた。 1 ヴァレリーが青春期をおくった時期は、ヨーロッパ各国が互いの経済力や軍事力を拡張していた時代であり、特にアフリカでの帝国主義的な植民地の争奪戦を繰り広げていた時代でもあるが、このようななかにあってヴァレリーはきわめて明確に政治経済的に不安定な第三共和制下のフランスの軍事的な拡張政策を支持する愛国者的な発言を繰り返している。特に、2度にわたるロンドン経験を通して、セシル・ローズが主導するイギリスのチャータード・カンパニー関係者とのつながりを深め、知性を最大に発揮することにより領土の拡張ばかりか、市場の拡張までもが可能になると主張する。彼の政治思想家としてのデビュー作ともいうべき『方法的制覇』は、このような状況のなかで生まれてきた。 2 ところで、こうした精神の政治学とでもよぶべきものを展開するヴァレリーに奇妙な身体感覚が生じてくる。ロンドンやパリなどの大都市で文学的野望や経済的不安、さらに性的欲望の抑圧をかかえた孤独な思春期を過ごすなかで、彼はみずからの身体の喪失感、分裂状態に苦しむようになる。それは、ショーウィンドーにうつった自分の姿のナルシス的分裂、人ごみの中での自我の異常増殖と消失をうたう詩となって現れる。そして、彼は驚くべきことに、1で言及した精神の政治学をみずからの身体に適用することによって、病める身体の救出をはかるのである。これが『テスト氏との一夜』の誕生へとつながるだろう。強烈なまでに右傾的な政治思想と虚弱な身体の鍛錬の結合というきわめて独特な精神の動きが明らかになってきた。
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