本研究は、主として、ローマ・カトリックの脅威を背景として生まれたプロテスタント国家意識の形成過程が、政治・宗教論争、海外ニュースの報道、商業出版の発展にどのように影響を与えたのかに焦点を合わせながら、十七世紀のパンフレット出版を通観して、パンフレット出版がその成立の重要な部分を担った公共圏がどのような性格をもっていたのかを明らかにするものである。さまざまな社会階層に属し、さまざまな政治=宗教的な見解をいだいた人々が参入した十七世紀の出版文化をパンフレット出版に焦点を合わせて通観しつつ、比較的安価なパンフレットが口承文化、手稿筆写文化、印刷出版文化を橋渡ししながら論議の的となっている事柄について「対話的」に公論を形成していく様相を検証することによって、十七世紀に生まれた言説圏の特徴を捉えることができると考えたのである。 本研究で取り上げた勧告論争を嚆矢とするさまざまな宗教論争が明らかにするように、論争的対話は相互に悪罵や嘲弄を交換しあう内に、次第にその品位を落としていく場合が多く、十七世紀における「対話」は、対話が多様性を指向しているようでありながら実は閉じられた、モノローグ的な読解を奨励している、というパンフレットの特徴をあらわしてもいる。その意味で、パンフレットやジャーナリズムが切りひらいた公共討論の言説圏はかならずしも合理的判断と啓蒙的批判に基づく教養あふれる批評空間だけに限られるものではないということが明らかになった。しかし、政治的公共圏のひとつの特徴は、文化的・政治的事象について自由に意見を交換することによって、エリート支配層の権威に挑戦するだけの自信を市民が獲得していく、ということにもあるはずである。とりわけ1640年代にはっきりとした形ではじまった毒舌調の、誹誘中傷的ジャーナリズムは、王政復古期にまで継承されて十七世紀イギリスの言説の大きな特徴となったことも指摘した。むしろ、そのような公共討論はテクストの権威に挑戦するような読解方法を読者に教えることになったという側面に注目するならば、公共圏にはその当初から多元的かっ対抗的な、あるいはオルターナティヴな要素が含まれていたと考えるべきであろう。
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