今年度当初に提出した「平成17年度科学研究費補助金交付申請書」中の「本年度の研究実施計画」に沿って研究を実施した。項目別に述べると、 1.資料については本学に未所蔵の自然主義期の文学作品に関する研究書、一九世紀後半から二〇世紀初頭にかけての医療言説に関する歴史や社会学の研究書を前年度に引き続いて収集した。このほかに『イリュストラシヨン』紙(1843〜1944)の写真複製版を入手した。この大衆紙によって当時のフランスの一般社会における医療言説の動向が具体的につかめると期待される。また昨秋の一〇日あまりのフランス滞在によって、フランス国立図書館や医学大学間図書館などで一次資料としては当時の医学誌の記事を、二次資料としてはあまり普及していない専門誌の論文を収集した。いずれも日本では入手困難であったため、貴重な研究資料となるであろう。 2.自然主義期の代表的な作家であるゾラが当時の医療言説をどのように自らの作品に取り込んでいったのかが今年度の研究の主要な目標であった。ゾラは「ルーゴン=マッカール叢書」を書くにあたって遺伝理論を利用し、それが旧弊な理論であったために、信憑性を欠くような作品に堕してしまったと見なされてきた。しかし、1980年代以降、とりわけY・マリナスらのゾラ研究によってこうした見方が覆され、今では彼が当時の最良の医学理論に依拠していたことが明らかになってきている。「ルーゴン=マッカール叢書」の登場人物たちに顕著なのは遺伝性の「神経症」であったのだが、しかしそれとともに当時フランスで「社会病」と言われた「アルコール中毒」や「肺結核」についても「神経症」と絡んでかなりの言及が見られる。今後はこの「神経症」と他の病気との関係を当時の病理学に照らして明らかにした上で、ゾラなどの作家が作品中で説話法(ナラトロジー)の観点からどのように病気を利用しているかを、既存の研究以上に踏み込んで、明らかにしていきたい。 3.目に見える具体的な成果としては、パストゥールを中心に細菌理論の成立を歴史的に跡づけたピエール・ダルモンの『人と細菌』を共訳し、藤原書店より公刊した(平成17年10月)。 また論文「ゾラ『獣人』における自由間接話法とポリフォニー」を執筆・公表した(平成18年3月)。主題はゾラの小説作品における「自由間接話法」の意義についてだが、医療言説をどのようなかたちで小説に取り込むことができるかという観点からすれば、この話法研究あるいは小説のポリフォニー分析は今後の研究に基礎として多いに役立つであろう。
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