1.「研究成果報告書」に収載した論考「写実・自然主義小説に関する医療化の歴史的研究」は、十九世紀初めから十九世紀末まで、バルザック、フローベール、ゾラなどの作家たちの作品に即して、医療化社会の歴史的な変遷を追ったものである。 時間的にも、空間的にも隔てられた文学作品を研究する者にとって、作中に現れてくる歴史的事象の理解は不可欠であるが、そのなかで医療に関するものは文学者にとってもっとも不得手な分野のひとつである。しかし最近のフランスの歴史学には医療に関してめざましい研究成果があがっている。本論考は、その歴史研究の成果を文学研究に資する限り利用して、文学作品の深い理解に役立てようとしたものである。その際医療化社会に関する歴史研究をそのまま文学研究に適用しても、必ずしも文学研究に役立つわけではない。そこで医者、医療、患者という三本の柱を立て、論考の章立てにそれらを用いて研究を進めた。 医者が小説の主人公や重要な登場人物になることはよくある。そのため医者の思考や行動に関する歴史的な状況をつまびらかにすることは是非とも必要なことである。また十九世紀は近代医学が確立された時期なので、それが文学作品に描かれた医療行為にどのように反映しているのかを吟味しておかなければならない。それには抽象的な医学理論や医学思想の類を論ずるよりも、小説に描かれる具体的な病気を取り上げ、医者たちがどのような近代医学を背景に医療行為を実践したかを問うほうが有益であろう。第三の柱とした患者に対してもやはり社会の医療化の前進に応じた歴史的変遷を見ることが可能である。 2.本報告の報告者はフランスの文学作品で言及された医療に関する研究を行うと同時に、かねてより研究の便宜を図るために頻度に応じて語彙収集に努めてきた。研究成果報告書の刊行に際して、この語彙集を「人文科学における医療用語」としてひとまずまとめ上げ、報告書に掲載した。
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