まず第一に、ポーが実際に編集を手がけたSouthern Literary MessengerとGraham's Magazineを中心に検証した結果、ポーが雑誌編集者として関わり、また開拓した、多様な文芸ジャンル(文学批評、スポーツ、科学など文学以外の書物や事象の紹介・解説、スケッチ、パロディ、暗号解読、推理小説等)をとおして、自らの文学的幅を広めると同時に、いわゆる「短編至上主義」を形成していったことが明らかとなった。 第二に、上記の雑誌と他の人気雑誌を比較検討した結果、ポーが雑誌というメディアをとおしてアメリカの読者を啓蒙し、アメリカの文学レベルをイギリス文学なみに高めようとしたこと、それと同時に、その高い芸術性を維持しつつ、不特定多数の読者を引き付けるための「娯楽性」をもたせるために、さまざまな文芸ジャンルに筆をそめたことが明らかとなった。そしてそのような雑誌の多様性の重視が、ポー文学そのものの多様性へとつながったことも明白となった。それはポーがただ単に、多様なジャンルを手がけたということのみではなく、一つの作品が従来の文学ジャンルでは説明できない多様なジャンルを包含しているという意味である。その集大成が『ユリイカ』であるという仮定にたつことで、謎の多く、評価が分かれるこの「宇宙論」を再評価することができた。 第三に、ポーと同時代の他の作家との類似点や相違点などを比較検討した結果、ポーがヨーロッパとは違う独自な「国民文学」の創造という、同じ文学的ナショナリズムを共有するものの、同時代の作家のように、その独自性をアメリカの自然やアメリカ的な題材に求めるのではなく、「多様性」に求めたこと、そこにポー文学と雑誌文学との関わりがあることを明らかにした。
|