研究概要 |
キケローと並ぶローマの大哲学者セネカは,キケロー同様体系的哲学者として自然学,論理学,倫理学の哲学三分野を深くかつ広く学び作品化していった。そしてセネカはこれまたキケローと同じく政治家であった。第5代ローマ元首ネロの少年時代は家庭教師として,ネロが元首に就任してからは政治顧問として,ローマ国政をできるだけ暴政・独裁政から護るべく努力した。しかしネロははじめの5年間だけそれなりの穏和な施政を行ったが,次第に自己抑制のない狂政にのめり込んでいった。セネカは必死に政道をまともに正すぺくネロに勧告したが,ネロは全く聞く耳を持たなかった。ネロは哲学への関心は皆無であったものの,詩や演劇にはなにがしかのセンスを持っていた。セネカは詩作を通して,ネロの政治教育を目指すことを決意した。しかし,それだけを目的としたのではなく,セネカはローマ元首政のそして宮廷の人間模様を活写することで,いかに人の心は情念に支配され,理性的に周辺を見ることに目がくらむかを,この上ない文章力で作品化した。これが彼の悲劇作品であった。彼の悲劇は哲学と深く結びついていること,更にギリシア悲劇を見事にローマ的に改変している。ローマにはギリシア以上に沢山の悲劇作家が輩出したが,セネカの悲劇作品のみが完全な形で伝えられた。かつ彼の作品はその後のヨーロッパ演劇に大きな影響を与えた。このことを本研究は追考した。
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