本研究は、第二次大戦後、白豪主義から多文化主義へと変化を遂げたオーストラリアの英語文学において、その現代文学に描かれる日本人像がいかなるものかを、小説を中心に明らかにした。これにより、イギリス帝国主義の周縁からアジア・太平洋国家へと変化したオーストラリア社会の変容を、日本人という「他者」の描き方という観点から明らかにすると共に、太平洋戦争で敵対しながら戦後の経済関係により緊密な関係を結ぶことになった日豪関係の一側面を考察することとなった。以下はその概要であり、次頁のそれぞれの論文で明らかにした。 オーストラリアにおける太平洋戦争の集団的記憶は、戦後社会に強い影響を及ぼしており、文学にもそれが顕著に現れていることがまず明らかになった。ただし、他のジャーナリズムや政治的発言等に見られる言説やセレモニーなどによく示される日本=敵という一面的イメージは、文学においても強いものの、それ以外の複合的視点も登場するようになる。これは戦前の「仮想敵」という単純な一面的見方から、実際の日本及び日本人をより詳細に観察する契機ともなり、さらに戦後の多文化主義の影響で、さらに複合的な見方が生まれたといえよう。 だが同時に、第二次大戦以前の「蝶々さん」もしくは「仮想敵」の単純な典型は、多文化化が進むオーストラリアで未だに書かれ続けている。これらのイメージは払拭されることなく文学に繰り返され、固定観念化していることを示している。その一方、現代日本人の多様化した姿は、日本を訪れ関わりを持った経験のある作家、複眼を持つ作家により新たによって提示されつつある。これには公的助成を受け長期滞在した作家らの存在が大きいが、これらの作家の登場は時間がかかるものであり、日豪2国間の関係の変化が、政治・経済・外交といったハード面ではむしろ易しく、文化、文学といったソフト面では難しいことを示しているといえよう。
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