本年度は、研究最終年度にあたり、研究課題のタイトルが標榜する「写本テクスト学」による実践の例を示すことができた。すなわち、トルバドゥールのひとりであるラインバウト・ダウレンガのNon chantで始まる作品について、その27行目のはらむ問題をテクスト校訂の立場から、各写本のテクストをマイクロフィルムなどにより比較検討し、私なりの結論を導き出したのである。具体的には、従来のテクストの主流であった、la amorという、母音接続を容認する立場を、さまざまの同種の例を勘案することにより、不自然だとみなして、あらたに他の作品のコンテクストを徹底的に探索し、これらと比較することによって、cel amor que...という読みを導き出した。 この内容は、研究実施計画にしたがって、2005年9月初旬にボルドー大学で開催された国際オック語オック文学研究学会の第8回国際学会において発表した。これを傍聴していたローマ大学のエンリコ・ジメイ氏より、同氏の母音接続の研究の一端を紹介した論文を送っていただき、母音接続の他の例を多く知ることのできたのは幸いであった。すなわち、私の例では、定冠詞laとアクセントのない母音a-morとの母音接続であったが、この場合はやはりイアチュスは不自然であり、写本伝承の過程でテクストが変質したものと考えることができる。a以外の母音の場合やアクセントの有無などで、条件が異なり、ジメイ氏はその例をかなり徹底的に調査している。ただしそのコーパスを既存のデ・リケールのアンソロジーからとっているため、私のような写本それぞれの相違を考慮していない点が惜しまれる。私のいう「写本テクスト学」の必要性をあらためて痛感している。
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