プルーストの『失われた時を求めて』の中間部の最重要な登場人物というべきアルベルチーヌは、作者が1913年秋に第一巻の『スワン家のほうへ』を出版した後に、作者のなかでしだいに具体的な姿をとりはじめ、折りしも第一次世界大戦勃発のため作家が後続の巻を出版できない清況のなかで、人物の物語上の役割が鮮明なかたちをとってゆく。主要登場人物が第一巻を上梓してから創造されたという事実は、強調してもし尽くせないものがある。第二巻以後の物語構造を激変させ、中間部が作者が予定していた以上に膨大なものへと変貌させ、物語のさまざまなレヴェルでの変更・修正を余儀なくさせた。しかし一方でこの"遅れてきたアルベルチーヌ"は、13年以前の構想にもとづくプランでは想像もつかないほど豊かでダイナミックな新たな物語構造をもたらした。第6巻『消え去るアルベルチーヌ(逃げ去る女)』で展開される「忘却」のテーマも、この物語構造の変貌の大きな要因の一つである。筆者は、初期作品から第1巻『スワン』におけるプルーストの忘却思想を考察し、この時期までは、忘却は一般的な感傷と変わりないものであったと結論づけた。14年のアゴスティネリの死後、プルーストは独自の忘却思想をわがものとした。それを反映したのが第6巻の忘却の段階論である。作家は13年の小説プランの忘却のテーマを導入して、主人公とジルベルトの旧来の関係を一連の恋愛物語(諍い-別離-忘却)にまで高めたことを、14年のグラッセ棒組校正刷と第2巻『花咲く乙女たちのかげに』を比較検討することによって考察した。しかし作家の忘却思想と物語の内実はいくつもの齟齬を生じさせた。以上を総括的に論じて、学部の紀要に掲載した(04年7月)。同じ観点から、第3巻の『ゲルマントのほう』を分析して、学部の紀要に掲載する(04年3月)。
|