ネルヴァルのディオラマの思想的背景としてピエール・ラクールの『エロヒムあるいはモーゼの神々』を研究した。その結果、ブニ(息子)とエロヒム(神々)の解釈の点では影響を受けているが、エノク(聖音に記述されている町)に関しては影響を受けていないことがわかった。またネルヴァルに影響を与えた3人の著述家(クール・ド・ジェブラン、ファーブル・ドリヴェ、ピエール・ラクール)の相互関係も研究した。 この3人の著述家にバルテルミー・デルブロを加えて4人の著述家の著作を研癒し、ネルヴァルへの影響関係を原典を入手し、検討を重ねた。 上記の作業と並行して、ネルヴァル以外の19世紀から20世紀にかけての作家たちがディオラマをどのように記述したかを原典と翻訳を入手し、研究を行った。その際フランス文学全文データベースFrantextが非常に役に立った。各作家によってその記述の仕方はかなり違いがある。それは作家たちが見たディオラマの形傾が違うことにもよると考えられる。 ネルヴァルと比較するために日本の作家(江戸川乱歩と谷崎潤一郎)がディオラマ(日本ではジオラマ)を作品内でどのように描いたかを考察した。日本ではパノラマとディオラマが同時期に入ってきて流行したという特殊事情がある。そこでパノラマの興行が主として行われ、ディオラマは付け足しのような存在であった。 最後にパリでディオラマの現地調査を行った。1822年から1839年までダゲールがディオラマを見せていた場所は区画整理の対象にもならず、建物にはプレートに上記の事項が記載されている。
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