研究概要 |
虚構の認知的効果を考える場合に重要なことは,虚構の伝達も広義のコミュニケーションの一部であるということである。つまりそれはある「表現」の提示によって,何らかの意味・表象・印象などを受け手の心に喚起する。とはいえ,音や視覚像の直接的提示による芸術を通常「虚構」とは呼ばないように,広義のアートやエンタテインメントの中での「虚構」は,現実言及における「実在」提示との関係において,後者に対する「ミメーシス」として規定される。ミメーシスの枢要をなす契機は筋(ミュトス)つまり人物の行為の連鎖の表象である。人物・背景世界・行為の組立という三つの次元が潜在的にせよ認知されることが「虚構」認知の基本にあると思われる。そしてこの三つの次元はわれわれの現実認識の構造と相同的である。様々なジャンル(例えば文学・映画・コミック)は,それ固有の「表現」の構成機序を持ち,その中にこの基本的次元を埋め込んでゆく。「表現」の特性に応じて規定されるジャンル固有の「享受」や「理解」の様態を個別に検討することが次の課題となる。 虚構の社会的機能とは,こうした「虚構」の享受・理解が,現実認識との間に取り持つ関係である。この問題は,虚構の現実性と,現実の虚構性という二つの方向から検討を加える必要がある。つまり,「虚構」はその集団的享受を通じて共同体的現実の形成・保持に関与するが,同時に共同体的に構成される現実認識それ自体が,虚構的な構成を相同的に内在させている。ミメーシスの原理と現実認識それ自体の「物語性」との内在的なつながりについて考察を深めることが更なる課題である。
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