朝鮮経由の『三国志演義』受容を調査するために、まず中世から近世初期にかけての日本における『三国志演義』受容の実態を精査することに着手した。その一環として、中世から近世末期までの諸葛亮を詠じた漢詩文を調査し、そこにいかなる形で『三国志演義』の世界が影を落としているかを検討した。その結果、中世の漢詩文で三国時代の人物に言及する作に『三国志演義』の影響を見出すことができるものが、現時点において見受けられないこと、また近世の初期から『三国志演義』が読まれていたこと、特に林羅山(1583〜1675)を筆頭とする林家ではその孫梅洞(1643〜1666)の世代まで同書を読了していたことなどが明らかとなった。その過程で、小説中の諸葛亮の姿として一つの典型をなす羽扇綸巾の風姿が、近世宝暦・明和期(1751〜1772)以降に活発化する『三国志演義』の普及とともに、一般に浸透してゆくことも確認できた。 その一方で、朝鮮経由の『三国志演義』受容を考えるために、朝鮮国内で改刻された『三国志演義』版本の、韓国内の図書館における所蔵状況を調査した。目録・研究書等で調査した結果としては、数種のテキストが朝鮮時代に刊行を見ており、目本の近世初期である仁祖五年(1627)に刊行されたテキスト、あるいは粛宗年間(1675〜1720)に刊行されたテキストを所蔵する図書館があることなどが確認できた。こうしたテキストが近世初期に舶載され読了されたかどうかに関しては、今後の韓国での調査に待つことにする。
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