まず中世における『三国志演義』の受容を調べるために、五山禅僧の漢詩文を中心に文献調査を行った。その結果、明白な受容の痕跡を見出すことはできなかったが、三国志に関わる言説が禅僧の漢詩文に多く見受けられることが確認できた。中でも、忠臣あるいは王佐の人として名高い諸葛孔明を批判した中国の詩文が、禅僧愕隠(1357〜1425)や博士家の清原宣賢(1457〜1550)らによって読まれていることなどを明らかにできた。こうした孔明批判の言説は中世においてもそれほど肯定的に受け入れられたわけではないが、江戸期の『三国志演義』受容以後においては、全く影を潜めてしまい、孔明賛美の論調が大半になってしまうことも確認できた(以上、拙稿「諸葛孔明批判論とその本邦における受容をめぐる一考察」を参照のこと)。 今ひとつは、韓国における文献調査の成果である。ソウル市内の東国大学校と延世大学校に所蔵される、朝鮮王朝時代に刊行された『三国志演義』版本二種を調査した。特に東国大学校が所蔵する版本は、中国の明・清代に刊行された版本をそのまま翻刻したものではなく、朝鮮において本文に注釈や評語を付加したものであり、こうしたテキストが日本に輸入されたことを推測させる重要な資料であった。ここに重要な資料と記すのは、朝鮮時代における『三国志演義』の読み方を日本の江戸時代で受容したのではないかとの可能性を示唆するという意味においてである。しかし遺憾なことに、東国大学校所蔵本は零本(1巻を残すのみ)であり、その全貌や刊年は確認できない。そのため今後、こうした朝鮮版『三国志演義』の版本の所在を韓国や日本の大学・図書館を中心に継続して調査してゆく。
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