本研究の企図するところは、中世から近世初期にかけての時期に、いかに『三国志演義』(以下、『演義』)が本邦で受容されたのか、その様相を具体的な事例に即して考察することにあった。そのため先ず平成16年度は、諸葛孔明という人物を軸に据え、その人物像における、『演義』世界の影響をうけて形成された部分を検討・確認する作業を、中世から江戸時代までの漢詩文を通覧することを通じて行った。 次に平成17年度は、主に五山禅僧や博士家の漢詩文、あるいは抄物等の文献資料を中心に調査を行った。その結果、中世における『演義』の明白な受容の痕跡を見出すことはできなかったが、三国志に関わる言説が禅僧の漢詩文に多く見受けられることが確認できた。 最終年度である平成18年度は、韓国における文献調査の成果を用いて『通俗三国志』(元禄四年1691)との関連を考察した。今回の研究において、韓国ソウルの東国大学校に所蔵されるテキスト(巻5のみ残る)を実際に調査する機会を得たので、それを日本における『演義』の翻訳である『通俗三国志』と対照したのである。その結果、『通俗三国志』翻訳の過程で、朝鮮版『演義』が参照された可能性があることが認められた。そして、仮に『通俗三国志』翻訳に朝鮮版『演義』が用いられたとするならば、中国の小説がいったん朝鮮半島に入り、そこで新たに印刷し直された後、そのテキストが日本に輸入されるという書籍流通の経路があったことが推測され、東アジアの文学・出版をめぐるネットワークに新しい光を照射することになるであろうことを示唆した。
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