1『戦う中国にて』論 長谷川テルがエスペランティストとして抗日戦争に参加しようとしながらままならない現実を、『戦う中国にて』の表現の中から浮き彫りにした。特に言語の相克に注目し、異なる言語の持ち主であることで、生死の狭間をゆくことになる長谷川テルの置かれた過酷な状況と、エスペラントがエスペラントとして機能しない当時の中国に生きるエスペランティストの苦悩を指摘した。従来の長谷川テル研究は、多くがエスペランティストによるものであったため、このような言語の相克に関する彼女の苦悩やエスペラントの弱点を指摘したものはなく、本研究は長谷川テル像の陰影を深めることが出来たと考える。 2抗口戦争史と上海の社会・文化状況、及び文化工作委員会での活動と「子猫的死」研究 背景となる抗日戦争史、及び、主に当時の上海の社会・文化状況を明からにした。更に、その後の重慶での文化工作委員会の内実と、緑川英子の活動状況を中国側の資料を用いて明らかにした。重慶の文化工作委員会での長谷川テルの置かれた位置についてはこれまで詳細な研究が成されていなかったが、長谷川テルの活動の実態を具体的に報告することができた。また、それを踏まえ、「子猫的死」についての読解を試みた。この作品の掲載誌は稀少であり、重慶にて複写を手に入れることができたことは収穫であった。日本人の抗口戦士に潜む帝国主義的なものを長谷川テルが容赦なく暴いている作品であることを提示した。 3夫・劉仁についての報告 夫・劉仁の詳細はこれまで明らかにされてこなかったが、佳木斯での資料入手により、その生い立ちの一端を明らかにすることができた。また、その資料から、劉仁の先妻の存在があったことを示し、長谷川テルを死に至らしめた佳木斯での中絶の意味について、それはエスペラントとしての精神が先妻を慮り選択させたものだ、という新見解を提示した。
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