本年度の研究では、日本語を母語とする子供(約30名)を対象に、量化表現の解釈に関する言語習得上のデータを実際に実験によって収集した。そして、それらを分析することによって、これまで英語を母語とする子供の先行研究において報告されていた経験的事実に興味深い説明をすることができるような新しい知見が得られた。 実験結果を総括すると、(1)が明らかになった。 (1)量化表現についての子供の解釈は、大人の文法と若干異なる。しかし、その相違は、単に子供のこころの構造が、人間のこころの構造を純粋に反映したものであるからにすぎない。 具体的には、以下の点が明らかになった。 (2)日本語を母語とする子供が、総称量化表現「どの〜も」の二つの解釈、つまり、総体解釈と個体解釈、を正しくできるかについては、先行研究における報告と異なり、子供は正しく解釈をすることができることを示した。このことは、Crain et al. 1996の主張のとおり、実験文を提示する際には、ディスコースにおけるfelicity conditionを満たすことが重要であることを示している。そして、同時に、このことは、日本語の総称量化表現「どの〜も」が(特に個体解釈をされる場合)、こころのメカニズムにおいて、集合の論理と「前提」の考えが存在することを示している。 (3)存在量化詞と総称量化詞が同一節のなかに生起する場合のスコープのとり方については、Sano 2004の報告どおり、本実験でも、子供は、大人の文法では許されない逆スコープを認可した。厳密には、(2)で述べた総称量化詞の使用を適切に認可するfelicity conditionを満たしたうえでも同様の結果がえられた。この大人の文法との相違点は、普遍文法、もしくは日本語における存在量化詞および総称量化詞(もしくは、どちらか片方)の語彙的構成に帰すことができる。 (4)私の知る限り、日本語を母語とする子供が「さえ〜」を含む量化表現をいかに解釈するかについて、実際に実験した研究は皆無である。本研究では、ディスコース上のfelicity conditionを満たす実験方法をとった。それにもかかわらず、子供は「さえ〜」がどの名詞句を量化するのか正しく解釈することができなかった。しかしながら、大人の文法における「さえ〜」のふるまいを観察することによって、「さえ〜」の言語理論への興味深い検証・貢献をすることができる。
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