1.Ito(2005)では、日本語児が取りたて詞「さえ」を含む文がもつ「(他者の)存在の含意」や「尺度の含意」についての計算、及び統語上のスコープを正しくとることが出来るかどうかを、実験により調査した。結果は以下の2点である。1)語用論的に不適切な文を正しく不適切であると判断することが出来ない(同様の報告:Noveck2001参照)、2)誤った名詞句に「さえ」がっいていることにより不適切である文を誤って適切であると判断することから観察できるように、スコープを正しくとることが出来ない。しかし、1)の結果を考慮に入れると、2)を断定することは出来ない。以上を、「さえ」の特性、子供のもつ語用論的知識の欠如、及び言語処理コストの点から説明を試みたが、実験で得られたデータからは、どの考えも当該結果を充分に説明することが出来なかった。 Ito(図書に収録予定)では、Ito(2005)を2点においてさらに深めている。具体的には、Chierchia et al. 2001で提案された実験方法を採用し、彼らの「文処理コスト」の点からの考えが妥当であるかどうかを実験により検証した。その結果、「さえ」のもつ語用論的情報量や統語的制約にある程度敏感であることが観察された。しかし、その結果は「偶然のレベル」の範囲のものであった。このことにより、文処理コストが軽減された実験においても、日本語児にとって当該文に関する「情報量の強弱」の比較や計算が困難であることが明らかとなった。 2.Ito(2006)では、「そう〜す」動詞句削除文において、裸名詞句及び照応詞「自分」を伴った名詞句を日本語児が正しく解釈することができるかを実験により調査した。具体的には、空代名詞及び「自分」が指示名詞や量化名詞を先行詞としてとる場合に正しく束縛変項解釈をすることができるかを調べた。その結果、量化名詞句を、音形上「空」ではない照応要素の変項束縛の先行詞として関連付けることが困難である段階が存在することが明らかとなった。
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