建仁寺両足院に所蔵される「抄物」を中心に研究を行った。目録から「抄物」と判断できるものを選び、すべて写真撮影を行った。続いて書名からは抄物と判断できない「抄物」を、一つずつ箱を開けながら探した。この作業のなか、当時の僧侶の知識の基盤となった典籍、五山版、宋版、元版の仏典の調査、さらに、建仁寺関係の禅僧の著作の調査も行った。 両足院に伝わる「抄物」には二種類あるようで、林宗二たちが作成したもの、もう一つは林家から譲り受けたものではないかと思われる。145箱に入れられているものは神道関係の書籍で、利峯東鋭との関係が深いようである。和仲東靖の筆と伝えられるものも入っているので、京都の林家との関係があったのかとも推定している。利峯東鋭の筆跡が特定できるようになったので、彼が抄物だけでなく、禅籍類も大量に書写していたことが分かった。林宗二、林宗和、和仲東靖、利峯東鋭の四人の手になる抄物が、その筆跡から区別できるようになっている。現在、梅仙東通の筆跡がある程度分かってきているが、これまで調査してきたのはほとんどが抄物なので、禅籍・仏典・漢詩文の筆跡を調査して、梅仙の筆跡を確定する必要がある。また、この五人以外の筆跡についても、調査をする必要がある。 また、江戸時代に作られた「淋汗疏」などの紙背から「史記抄」を発見した。162箱の文書からも紙背・史記抄がみつかり、現在58葉が見つかっている。これは京都大学附属図書館清家文庫所蔵の史記抄とほぼ同じものであり、両足院と清家の関係が、予想外に深いこと、また、「左伝」や「左伝抄」から、清家との関わりには、直接的な関係と、他の僧侶を通じての間接的な関係の両方があったことなども分かった。 両足院蔵の抄物の大半は調査が終わったと思われる。その目録も作成した。奥書の集成によって、林家だけでなく、両足院住職の仕事についても、いくつかの事実が分かった。しかし、まだ、蔵書のほんの一部の調査に過ぎないので、紙背に気を配りつつ、筆跡に注意しつつ、漢文で書かれた書籍の調査を行う必要がある。
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