本研究は、日本語および韓国語の談話構成における「話者の視点設定とその言語表現への反映のあり方」の比較対照を通じて、同一の言語外事実をとらえる話者の視点には言語間の相違が認められるのか、また、仮に一定の相違が認められる場合、それが学習者の中間言語にはどのような影響を及ぼしているのかについて考察・検証を行ったものである。 一般的に「視点」とは、「情報のとらえ方」として広く用いられる概念であるが、本研究では、従来の先行研究に対する理論的考察を通じて、日本語および韓国語に共通する「視点の表現構造」を具体化させると共に、発話における話者の視点には、話者が目撃する場面の中から「どの関与者を中心に発話を構成するのか」を意味する<注視点>と、話者の場面をとらえる主観的立場としての<視座>という二つの構成要素が想定されることを指摘し、久野(1978)の視点分析における理論的枠組みを言語運用に基づく実証分析に応用する上での新たな解釈法を提示した。また、<注視点>と<視座>という二つの要素が「話者の事態への関与のあり方」に基づいて変動する仕組みを具体化させながら、こうした仕組みが異なる言語話者の視点運用のあり方をとらえる上での共通の基準として機能する現象を指摘した。 分析の第一段階では、日本語話者(JJ)および韓国語話者(KK)による談話資料を対象としながら、従来において指摘されてきた日本語話者の談話構成における「同一主語の相対的多用(主語の一貫性)」は、「視点の一貫性」における顕著さではなく、話者の視点の一貫性を保つための「表現法(ストラテジー)における傾向的特徴」として解釈されるべき現象であり、言語の相違により、その傾向は異なり得るとの結論を得た。次いで、学習者の母語と目標言語問の異なる視点の表現法が、その中間言語に転移として影響するのかについて、韓国人日本語学習者(KJ)および日本人韓国語学習者(JK)の談話資料に対する二方向からの対照分析を行った。その結果、KJとその母語である韓国語話者(KK)との間には<注視点>の設定における「行為主体主語」の多用が類似性として認められたが、これを学習者の母語からの「視点の転移」であると見なすことは困難であるとの結論を得た。しかし、学習者の<視座>においては、学習者の熟達度が上がるに連れ<視座>の設定頻度が高まると同時に、その表現法においても母語に類似する傾向が認められるとの結論を得た。
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