研究代表者は、今年度以下の研究成果をえた。 (1)清朝は、18世紀初めに科学白的な実測にもとづく中国と周辺の地図『皇輿全覧図』を作製した。『皇輿全覧図』のコピーは、ロシアとフランスに送られて、当時ヨーロッパの地理学において空白地域であった西太平洋の研究に大きく貢献した。 『皇輿全覧図』においては、アムール川河口までのアジア大陸の東海岸が明確になり、謎の土地であったエゾ(北海道)は日本に近い島であるとして、地図の中には描かれなかった。、ロシアではキリロフが、『皇輿全覧図』の海岸線を採用し、ベーリングの地図と結合して、カムチャツカ以西のアジアの海岸線をほぼ明らかにした。さらにキリロフとドゥリルは、サハリンを2つの島と考えて、そのうちのサハリン南部を北海道と合わせて一つの巨大な島とした。これに対してダンヴィルは、デュアルド『中国誌』のために、『皇輿全覧図』にもとづいた東アジア地図を作製したが、そのうちの1枚に『皇輿全覧図』には描かれないエゾを描いた。ダンヴィルは、本州の北にエゾガシマ、エゾ、サハリン北部の3島を考えたが、ヨーロッパではかれの考えは支持されず、ドゥリルらの説が有力になり影響力を強めた。エゾ問題を最終的に解決したのは、後者の地図に従ってこの海域を探検したラペルーズであり、その結果西太平洋海域は、大体明らかになった。 (2)清朝は、『皇輿全覧図』のあと『皇輿十排全図』と『乾隆十三排図』を作製した。これらの地図では、東アジアとともにロシアや地中海までも含むが、それを描くために清が参考にしたのは、カムチャツカ半島やアムグン川などの特徴から、1727年の北京会議のときにロシアが提供したホマンの地図であった。
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