本研究では、自然と人間の関係史、とりわけ、災害をめぐる地域社会の対応を探る一環として、木曽三川流域に展開した治水事業と地域社会の関係について検討を行った。 当該流域では、大小さまざまな治水事業が展開されてきたが、災害と地域社会の動向をリンクづけたデータが共有されていないため、幕藩権力の施策に関心が集中し、地域社会と関連づけた十分な検討がなされてこなかった。 そこで、本研究の第一の柱として、高木家文書をはじめ、流域に遺された年代未詳の文書・古絵図の活用にむけて、対象エリアの同定及び年代比定を行い、情報資源化を重点的に進めた。その成果にたって、災害と対峙する地域社会の動向をふまえ、宝暦治水のプランニング過程や諸治水事業の実施状況を具体的に検証した結果、災害復興の過程、あるいは災害予防の措置等を通してみられる地域間利害の調整や共同性の調達、また自然災害から生み出される治水技術の蓄積とそれに基づく地域からの意見具申といった、災害と地域の関係性を具体的に物語る諸事実を確認することができた。 しかし、本研究では、18世紀の地域社会の動向分析が中心となり、流域災害を大きく規定する土砂問題や近世後期については未だ十分な検討に至っていない。今後さらに、土石流災害や土砂堆積の影響を組み込むとともに、近代を含めた形で、災害と地域の関係性、災害を通してみた地域社会の多様な存在形態について検討を行うことが課題となる。
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