連合王国国立公文書館(National Archives)におけるSatow Papersを調査して、サトウの日記やアストンあての書簡、ディキンズ夫妻との往復書簡を分析し、サトウ、アストン、チェンバレンおよびディキンズらの交友関係を具体的に明らかにした。先駆的英国人日本学者たちの要石の位置を占めたのはサトウである。サトウは離日後も日本への関心を失うことなく、交友のあったアストンやチェンバレン、ディキンズの日本研究を有形無形に援助した。また、ケンブリッジ大学図書館所蔵の「アストン和書目録の」の調査と分析により、同館に所蔵されるアストン旧蔵書の大半がサトウよりアストンに貸与されたものであることも明らかにした。アストンの日本学3部作(『神道』『英訳日本書紀』『日本文学史』などの英国帰国後の代表的著作はサトウの存在なしではありえなかった。なお、「アストン和書目録」についてはケンブリッジ大学図書館より翻訳の許可を得て、逐次活字化した。アストンおよびサトウの蔵書の質と量が具体的に明らかになりつつある。サトウのコレクションの一端がうかがわれる。また、この目録から、アストン、サトウと日本美術収集家として知られたW.アンダーソンとの交流も明らかになった。一方で、アストンの日本研究の実態を探るために、『英訳日本書紀』の脚注の和訳も試みた。これによって、アストンが平田篤胤・本居宣長らの国学者の著作を敬意をもって参考にしつつも、冷静な客観的な態度で引用している様子などが明らかになった。
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