研究課題
基盤研究(C)
従来の研究においては看過され勝ちだった戦時下における郷土史家相互の連絡の導体的分析を踏まえた柳田民俗学の組織化をめぐって、以下の成果を得た。(1)柳田民俗学おける物証主義、経験主義は、戦時下にあってもそのまま組織方針として維持され、具体的にはその方針に叶う信頼できる人材がその土地にいるか否かが尺度となった。そしてひとたび関係が生じると、1930年代から戦中戦後にかけて極めて長い期間にわたる交流が続いた。(2)さらに信州松本など、重点的に組織化が進んだ幾つかの地域は、柳田と交流のある郷土史家を核とすることでその周辺地域に向けて第二次的ともいうべき組織化を行い、漸新的に柳田民俗学の浸透をはかった。(3)互いに遠隔地において核となった郷土史家は橋浦泰雄が編集長をつとめる『民間伝承』誌上でお互いに連絡しあったほか、柳田とは独立して互いに書簡による交流をはかり、情報交換を行った。以上の環境を柳田民俗学が整えたことは、戦時下において郷土研究が、経験的な思考を自由に駆使することのできる稀有の場所を提供することとなる。そのことを端的に示したのが、1943年から足掛け三年間企画された「柳田国男先生古稀記念事業」である。この事業に参画した人士を見ると、それぞれの思想を超えて、時局にかかわりなく自らの学風を維持した柳田民俗学への賛同という側面があったことが判明する。柳田民俗学が地方研究者を従属的立場に追いやり、「一将攻成万骨枯」という状況をもたらしたことについては、過去に多くの指摘があるが、同時代の資料から仔細に検討すれば、その様相は以上のような修正を要する可能性を含んでいるのである。
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季刊 環 22号
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