昨年度末以降、研究の成果を国内外の学会で積極的に発表してきた。 まず、2005年3月中旬上海・同済大学で開かれた国際シンポジウム「西洋学問の受容及び漢字訳語の形成と伝播」において「従衛三畏档案看一八五八年中美之間的基督教弛禁交渉」と題する報告をし、第2次アヘン戦争中のキリスト教解禁におけるウィリアムズ(当時は中国駐在アメリカ公使の秘書官)の役割を解明した。同報告は後に論文として『或問』に掲載された。そして、12月12日東京・国際基督教大学の「アジア・フォーラム」において「「非人道的」な鎖国制度に挑むアメリカ人宣教師-ペリーの首席通訳官S.W.ウィリアムズのこと-」という報告をし、ペリー来航時のウィリアムズの対日姿勢を分析した。 また、19世紀中葉東アジアにおけるキリスト教の影響について次の報告をした。 (1)「王韜における儒教とキリスト教の相克-祖先祭祀および儒耶異同の問題をめぐって-」、於関西大学アジア文化交流研究センター交流環境班第三回研究会、10月28日。 (2)「王韜の西洋観-文明、帝国主義とキリスト教-」、於2005年日本思想史学会年度大会(東京大学駒場)、10月30日。 資料収集の作業がいっそう進んだ。エール大学所蔵のウィリアムズ自筆日記に対する精査を通じて、ウィリアムズの死後、その息子の手によって整理出版された同日記中の省略箇所を約40箇所突き止めた。これによって、父の宣教師としての過分な情熱を表すこれらの箇所を後世に伝えたくない息子の意図が明らかになった。そして、上海図書館外国語関係蔵書楼などで収集した資料も、19世紀中葉東アジアにおけるキリスト教布教の全貌の理解に役立った。 関連の翻訳作業も着実に進み、来年度には完成させる予定である。
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