本年度は張家山漢簡「二年律令」の整理・訳注作業に携わると同時に、それを利用した刑罰制度、特に労役刑制度の再検討を行った。 秦漢時代の労役刑には、城旦春・鬼薪白粲・隷臣妾・司寇、の主として四種類がある。これらの刑罰に一定の刑期があっためか否か、かねてより論争があったが、二年律令の内容は無期刑説を支持すること、まず明らかにした。これら労役刑がいずれも無期刑であるとすると、刑の軽重は如何にしてつけられているのか、が次に問題となる。この点については、労役刑に軽重をつけているのは労役強度ではなく、刑徒の家族への処遇、その地位が子孫に継承されるか否か、土地支給の有無、といった多様な要素であることが分かってきた。こうした制度が後代に如何なる経緯で変化するのか、現在考察を準めており、近々に雑誌論文にまとめて発表する予定である。 夏期にはドイツに渡航し、海外共同研究者のエノ=ギーレと会合、郵書伝達制度や駅伝制度の研究を共同作業の核に据えることとし、関連する「二年律令」条文の英文・独文訳に着手した。 以上の作業と平行して、中国甘粛省の懸泉置遺跡周辺の歴史地理についても研究を進め、「懸泉置とその周辺-敦煌〜安西間の歴史地理-」を『シルクロード学研究』誌上に発表した。懸泉置は漢代の郵便・駅伝施設の遺跡であり、そこからも多くの木簡が出土している。この木簡はエノ=ギーレとの上述の共同作業において、重要な史料となる。懸泉置周辺の施設配置について共通認識を持った上で、作業を進める予定である。
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